2024-01-01から1年間の記事一覧
2024年11月30日に立烏帽子(鈴鹿御前)の出典をまとめましたが、それぞれをちびキャライラストにしました。 diconoroshi.hatenablog.com 鈴香山の女盗賊/鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿姫 ~初期の伝承 鈴香山の女盗人/鈴鹿山の立烏帽子 平安末期から鎌倉時代の「…
※2024年12月7日:一部追記・修正、地図追加、覚え追記 藤原千方(ふじわらのちかた)は、天智天皇の時代(在位668-672)に伊勢・伊賀で反乱を起こし討たれたと伝わる人物です。 それぞれ特技を持つ4人の鬼を従えていたという伝承から、伊賀流忍者の祖である…
2024年9月16日の記事で触れた「立烏帽子/鈴鹿御前」について、国立国会図書館デジタルコレクションなどから出典などを調べ、並べました。 diconoroshi.hatenablog.com (資料整理の性質が強く、読み物としては作成していません。すみません。) ※2024年12月…
南北朝時代の英雄・花将軍「北畠顕家」。 戦国時代、織田信長に滅ぼされた伊勢国の剣豪大名「北畠具教(とものり)」。 この2人をつなぐ人物が、南北朝時代の伊勢国司「北畠顕能(あきよし)」です。 伊勢国司・北畠氏 北畠顕能に始まる伊勢国司・北畠氏は…
ブログ10月14日で書いた「山田屋小万(関の小万)」のイラストです。 diconoroshi.hatenablog.com 山田屋小万(関の小万)10月21日更新版 イメージとしては、仇討の決意を胸に秘めつつ、朗らかにふるまう剣道少女。 仇敵・小林軍太夫(と思われる男)が目の…
関の小万(こまん)は、江戸時代中頃に実在した、三重県亀山市関町に伝わる仇討物語の主人公です。 彼女の物語は、「鈴鹿関町史」によると、およそ次のようなあらすじになります。 父・牧藤左衛門が小林軍太夫に殺される 牧藤左衛門(後の小万の父)は、九州…
2024年9月28日から9回にわたり「関ヶ原の戦い@安濃津城」として、現在の三重県津市・津城跡周辺を舞台にした東軍・西軍の戦いについて述べてきました。 長くなりましたので以下に戦いのあらすじと、ブログ記事(イラスト回含む)のリンクを並べます。 前提…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、9回目です。 当初想定していたよりかなり長くなってしまいましたが、これでラストにします。 前回まで diconoroshi.hatenablog.com 慶長5(1600)年8月、関ヶ原の戦いの前月。東軍についた富田信高・分部光嘉ら1700…
2024年9月18日から始めた「関ヶ原の戦い@安濃津城の戦い」が思ったより長くなってきました。終盤間近ですが、ここでイラストを1回挟みます。 diconoroshi.hatenablog.com イラストは、安濃津城の城主・富田信高の妻「宇喜多氏」です。安濃津城が西軍に攻め…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、8回目です。 前回のあらすじ diconoroshi.hatenablog.com 慶長5(1600)年8月24日、毛利勢を中心とする西軍が安濃津城への攻撃を開始。城を出て城下町で戦っていた兵が、城の東側にまわった西軍(宍戸元続・鍋島勝茂・…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、7回目です。 前回のあらすじ diconoroshi.hatenablog.com 慶長5(1600)年8月23日、東軍についた富田信高らが籠る安濃津城(1,700人)に西軍(3万)の先鋒が迫ります。塔世川(現・安濃川)を挟んで対峙した両軍です…
先日、ブログで言及した弓削忠左衛門のイラストを描きました。 diconoroshi.hatenablog.com 安濃津城の戦い・1日目では、籠城側・富田信高軍の鉄砲隊が大活躍したので、鉄砲を持った人物を描こうと思いました。 60人の鉄砲隊で200~300人の敵陣に殴り込みを…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、6回目です。 前回のあらすじ diconoroshi.hatenablog.com 慶長5年8月初旬、西軍の先遣隊・長束正家と安国寺恵瓊の部隊は安濃津城まであと1日の椋本(現・津市芸濃町椋本)まで進みました。 しかし、長束・安国寺の…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、5回目です。 前回までのあらすじ 慶長5年、関ヶ原の戦いの直前。家康の命を受けて安濃津城に入った富田信高。伊勢上野城の分部光嘉が合流、松坂城からも増援、地侍の参加などもあり、計1,700名の兵となりました。周辺…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、4回目です。 前回は、上杉征伐に従軍して関東にいた安濃津城主・富田信高が、家康の命を受け、伊勢湾を渡って安濃津城に帰還した経緯を述べました。 diconoroshi.hatenablog.com 安濃津城の留守兵 安濃津城の留守は富…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、3回目です。 前回の記事では、関ヶ原の戦いの直前の、伊勢国周辺の大名たちの状況について説明しました。 diconoroshi.hatenablog.com 今回は、関ヶ原の戦いの当時、安濃津城の主であった富田信高が、上杉征伐で駐屯す…
関ヶ原の戦い@三重県(津・安濃津)、2回目です。 主に、関ヶ原の戦いの直前の、伊勢国周辺の大名たちの動向について述べます。 慶長5(1600)年、豊臣家に臣従する形をとりながらも権勢をふるっていた徳川家康は、会津(福島県会津若松市)の上杉景…
今回は「関ヶ原の戦い@三重県・津(安濃津)」です。 日本が東西2陣営に分かれて戦った「関ヶ原」。そのものは慶長5(西暦1600)年9月15日、美濃国不破郡関ヶ原(現在の岐阜県関ケ原町)で行われた大会戦ですが、その前後には、日本全国各地で大小の合戦…
先日、ブログで言及した立烏帽子(鈴鹿御前)のイラストを描きました。 鈴鹿山の立烏帽子(鈴鹿御前) (以下は描画時の覚えです。) イラストの時代設定は、平安時代前期としました。 保元元年(1156年)の現役武士が、その祖父の代に「立烏帽子」を捕まえ…
三重県に長年住みながらも、鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿御前の伝承は、Googleニュースのレコメンド記事で初めて存在を知りました。 magmix.jp 「もののけ姫」のエボシ様のモチーフが、鈴鹿峠の女盗賊だったという記事です。ウェブで調べてみると、次のようなこと…