三重県に長年住みながらも、鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿御前の伝承は、Googleニュースのレコメンド記事で初めて存在を知りました。
「もののけ姫」のエボシ様のモチーフが、鈴鹿峠の女盗賊だったという記事です。ウェブで調べてみると、次のようなことが分かります。
鈴鹿峠の盗賊「立烏帽子」
・平安末期の説話集「宝物集」に、悪事をなして報い(捕縛・処刑)を受けた者の例のひとつとして、「スゝカ山ノ タチエホウシ」が挙げられている。
・保元物語に、立烏帽子を捕らえた者の孫だという伊賀の武士が登場している。
・これらのことから、平安末期から鎌倉時代にかけて、鈴鹿峠の伝説的盗賊「立烏帽子」が認識されていたと推測される。
鈴鹿山の「女盗賊」
・鎌倉時代成立の「古今著聞集」に、藤原隆房が検非違使であった時、都の盗賊の首領が美しい女官であったことに驚いて「むかしこそ鈴香山の女盗人とていひ傳えたるに」というセリフがある。(第一九偸盗)
・このことから、鎌倉時代(または藤原隆房が検非違使の時代・平安末期)に、過去の「鈴鹿峠の女盗賊」が伝えられていたと推測される。
田村語りのヒロイン「鈴鹿御前」
・坂上田村麻呂をモデルとした寺社の縁起や地域伝承、物語「田村語り」に、天女「鈴鹿御前」として登場し、主人公と夫婦になる設定となっている。
いつ、鈴鹿峠の盗賊「立烏帽子」=天女(鬼女)「鈴鹿御前」となったか?
南北朝時代の争乱を記した軍記物語「太平記」には、源氏伝来の名刀「鬼切」の説明として、「此は鈴鹿の御前、田村将軍と、鈴鹿山にて剣合の剣是也。」(巻第三十二・ウィキソース)と記されており、「鈴鹿の御前」が坂上田村麻呂(をモデルとした坂上田村丸)と戦ったと伝えられていたことがわかります。御前=女性であり、坂上田村麻呂(田村丸)と戦う=賊(盗賊)であることから、立烏帽子=鈴鹿山の盗賊=鈴鹿御前(女性)という構図で伝えられるようになったと推測されます。
鈴鹿御前については、伝説上の斎王・倭姫の伝承に基づく鈴鹿姫信仰がもともとあり、それが「立烏帽子」や「鈴香山の女盗人」と結びついて天女「鈴鹿御前」となったという説が紹介されています。江戸初期の「勢陽雑記」(明暦2年(1656年))にも、「或説に曰ふ鈴鹿御前は天照大神の乙姫也と。」との記述があり、倭姫と直接ではないですが、当時の天皇家と紐づく伝承が認知されていたようです。
さらに「勢陽雑記」では、田村語りの典型的なストーリーが紹介しながら、「一 鈴鹿御前 いかなる神をまつりしぞや、俗説殊に多し。」「鈴鹿御前はいかなる御神とも由来たしかならず。」とするなど、江戸時代初期には、既に様々な伝承が折り重なって、史学的な検証が不可能なほど(良い意味で)人口に膾炙していたのではないでしょうか。
なお、もし「立烏帽子」が女性であれば、そのことについて言及するのが当時の著作物として自然だと考えますが、前述の宝物集(治承年間1177-1181)、保元物語(1220以降?)、古今著聞集(1254年?)の成立年代が近く、かつ立烏帽子=女盗賊の記述がないことから、かえって、1200年前後の人々にとって「立烏帽子?ああ、あの女盗賊ね」「鈴鹿の女盗賊、ああ、立烏帽子のことか」というように、当時の常識になっていたのかもしれない、などと思ったりします。(これは妄想の類です)
平安末期から鎌倉時代に流行した、女性が男装で舞う「白拍子(しらびょうし)」が立烏帽子を被るイメージがあることも、立烏帽子=女盗賊の一助になっているんじゃないかとも想像します。
萌えとしての「鈴鹿御前」
鈴鹿峠の天女・盗賊・鬼女としての「立烏帽子/鈴鹿御前」は江戸時代には固定したイメージを確立しており、浮世絵や浄瑠璃のヒロインとして認識されていました。明治時代に入っても、「新編御伽草子」(明治34年)や「日本神話物語」(明治44年)に「立烏帽子」の項が建てられるなど、戦前日本においてメジャーな存在であったと推測されます。前述の「もののけ姫」のエボシ様について、1941年生まれの宮崎駿監督も、登場人物のモチーフとする下地があったのではないでしょうか。
「もののけ姫」のエボシ様を引き合いに出すまでもなく、室町・江戸の田村語りのヒロインとして活躍し、十二国記の絵師として高名な山田章博氏の漫画「Beast of East」にも主人公の仲間となる頭目(美しい女盗賊)「立烏帽子」として登場し、令和のゲームにもFate/Grand Oderなどに姿を変えて登場する立烏帽子/鈴鹿御前は、時代を超えた「萌え」の象徴ではないでしょうか。
※2024年11月30日修正・モンスターストライクは「静御前」でした。
---【出展/参考】---
古今著聞集:国立国会図書館デジタルコレクション
勢陽雑記:「勢陽雑記」昭和43年 三重県郷土資料叢書(津市立図書館)、国書データベース(国文学研究資料館)