2024年11月30日に立烏帽子(鈴鹿御前)の出典をまとめましたが、それぞれをちびキャライラストにしました。
鈴香山の女盗賊/鈴鹿山の立烏帽子/鈴鹿姫 ~初期の伝承
平安末期から鎌倉時代の「宝物集」「保元物語」に、かつて「鈴鹿山の立烏帽子」という山賊がいて捕らえられたという話が、それぞれ一か所(1文)に出てきます。名前のみでどのようなことをしていたのか、どのような姿であったのか、性別なども全く記されていません。
また、鎌倉時代の「古今著聞集」に、これも当時の昔話として「鈴香山の女盗人」がいたという一文が出てきます。「立烏帽子」との関連には触れられていません。
室町時代に成立した「太平記」には、「鈴鹿山で田村将軍と斬りあった鈴鹿の御前」という一文が出てきます。鈴鹿山の賊が女性であるという伝承となっています。その後、足利将軍の伊勢参宮に同行した貴族の日記(旅行記)に「鈴鹿姫が田村将軍に敗れたときに被っていた立烏帽子を山に投げて石になった」という話が記されています。鈴鹿峠の馬子が奇岩・名岩を紹介する話のひとつに「立烏帽子をかぶった鈴鹿姫」という賊が登場したのでしょう。
田村の草子
室町時代成立の「田村の草子」。
ここでは、「鈴鹿御前」は鈴鹿山の鬼神「大嶽丸」を討伐に来た田村将軍を助ける天女として登場します。天女の名は「鈴鹿御前」で、「立烏帽子」ではありません。
田村丸の夢に現れた「鈴鹿御前」は次のような姿で描写されます。
・数え16歳くらい
・玉のかんざし*1
・金銀の瓔珞*2
・唐錦の水干
・紅のはかま*3
後に紹介する2つの姿とは異なり、武器を持っておらず、田村丸と戦うこともありません。3本の名剣「大通連」「小通連」「顕明連」は討伐対象の大嶽丸が持っており、鈴鹿御前が大嶽丸をだまして「大通連」「小通連」を奪うことに成功します。「顕明連」はインド(天竺)に出張中。
鈴鹿の草子
「田村の草子」とは異なり、「鈴鹿の草子」では「立烏帽子」が田村殿の討伐対象です。立烏帽子を被っているが姿が見えない不思議の者。最初は、姿が見えないので男とも女ともわかりません。
田村殿が神仏に祈って「立烏帽子」の姿が見えるようになると、数え17、18歳くらいの女房、この世の人とも思えない女房で、田村殿はたちまち恋に落ちます。ここで「立烏帽子」の呼称が「鈴鹿御前」に変わります。
鈴鹿御前は田村殿に気づいている様子はありません(実際には鬼神なので神通力で気づいています。)。田村殿が剣を抜いて鈴鹿御前のほうに投げると、鈴鹿御前は少しも慌てず、いつのまにか、立てかけてあった琴を弾くと、完全武装の姿を現します。
・立烏帽子
・こんりんしやうの直垂(ひたたれ)
・御よろい
・さんたいくけんの籠手(こて)
・しょうらんひれいの脛当(すねあて)
・ちけんとうみやうの御かたな
・いかものつくりの太刀
それぞれの武器・防具の形容詞はよくわからないのでそのまま書いています。ただ「いかもつくり」の太刀は「厳物作」、ものものしい儀礼用の太刀ということは何となくインターネットで分かりました。
普通の女房の格好をしていた鈴鹿御前、攻撃を受けても少しも慌てず、いつのまにか琴を弾きながら完全武装の姿に変身する。仮面ライダーかプリキュアか。琴が変身用アイテムですね。クリスマス商戦に投入。
鈴鹿御前と田村殿との戦いも、双方が投げた剣どうしが空中で斬り結びます。こちらはファンネルかスタンドか。
鈴鹿御前は3本の剣を持っていることを田村殿に明かし、そのうち1本の「大通連」で田村殿を討つことはたやすい、とマウントをとります。
「田村の草子」とは異なり完全な武闘派です。
田村三代記
東北地方で江戸前期には既にあったという「奥浄瑠璃」。「平家物語」のような語りの芸能で、上方で失われた古い浄瑠璃の姿を残しているといいます。
その中の演目「田村三代記」では「天竺第四天魔王の娘・立烏帽子」として登場し、鈴鹿山で夜な夜な姿を隠して飛び回り峠を越える人々の財物を奪っていました。「影のようなる光物」ということ。イワシかサンマでしょうか?
「鈴鹿の草子」と同様、討伐に向かった田村麿が鈴鹿御前を発見しますが、
・数え16歳くらい
・十二単衣
・濃い紅の袴(はかま):裾はとめている
・瑠璃の卓で本を読んでいる
・左側には纐纈の袋に入れた琴を置いている
・右側には3本の剣を置いている
かたわらに剣を置いている以外は完全に文系の少女。
「鈴鹿の草子」と同様に田村麿が抜いた剣を鈴鹿御前に投げますが、
女少しも驚かず髪をさらりと撫で上げて
変身することなく「大通連」の剣を抜いてバトルを始め、その後、他の物語と同様田村麿と夫婦になります。
※「太刀」ではなく「剣」だったので、イラストを修正しました(2024.12.09)。
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以上、立烏帽子・鈴鹿御前の4態イラストと解説でした。
※参考文献は下記ページに記載しています